珍しく自信をなくした、ブログ主の書い人だよ。
きっかけは、ネットで見たぶっちゃけ下手な他人の創作小説(『小説家になろう』)。
むっちゃ雑な内容で、日本語の勉強から始めろよ、と言いたくなる内容だった。
しかし閲覧数は自分よりも、その下手な作品のほうが上だし感想も(ほぼ悪罵・あくばだが)書き込まれている。
自分の作品は感想も悪意ある書き込みもほぼ無いが、大人しすぎる。
実力では自分のほうが上だよな、なんでなんやろ、ということで自信をなくしてしまった。
そういうわけで、以下、いろいろ深堀りして探ってみようと思う。
アクセス数だけが全てではない
実際、その下手だった小説の感想欄はほぼ全て不評だった。
『つまらない』とは一切書かれない自分の作品にも存在価値はあるんじゃないのか、と思う(『面白い』とも書かれないのだが・苦笑)。
某氏の作品は下手すぎて話題を集めるのか、気軽な感じ(怖いもの見たさ)でアクセスを集めているのか、突発的な話題性は評価すべき作品なのかもしれない。
自分と他人を比べてはいけない、は本当だった
幸福になるために必要な条件的なものに、本当によく言われるのが『自分と他人を比べるな』だけど、まさか自分より下の人と比べるのもいけないとは思っていなかった。
唯一(少なくとも自分と比べたらそう思う)アクセス数では相手の方が上だから、数字というものにとてつもなくぶん殴られた感じなんだろうな。
アクセス数は本当に気になるけど、投稿初期の数千アクセスなんて誤差みたいなものだと思ったほうが良いのだろうか?
いわゆる悪目立ちというものもあるだろう。気にすんな、自分。
あとは自分にも、露骨に下手な小説(もどき)を読んで安心したい、という姑息(こそく)な考えもあったのかもしれない。
アクセス数がいくら上だからといっても、内容があれでは敬意を払う気も起きないし、もう無視でいいやと思う。
自分なりの基準を設けないと、心が折れる
結論。
『プロとして通用するかどうか』を自分自身の基準にしたいと思う。
上に挙げた某氏の下手な作品は、間違いなくどの新人賞でも1次審査で落ちるだろうし、気に留めるだけ時間の無駄だと思う。
自分は本気でプロ作家を目指しているし、あらためて目標を再確認した。
PV・閲覧数はあるに越したことはないけれど、意識のし過ぎはまずいのだろう。
本当に悔しがるべきタイミングは、実力で負けた! と心の底から思える相手に出会ったときなんだろう。
『数字だけが全て』は本当に勘弁してほしい。
出版する場合は売上が第一になるから、それはそれで数字第一できついけど。
認めるべきところは認める
某氏の作品を評価する(認める)なら『小説として評価すべき部分はどこにも見当たらないけど、アクセス数だけは稼げている! すごい!!』になる。
皮肉じゃないですよ(皮肉にしか聞こえねえよ)。
某氏の手法は炎上と同じやり口なのかもしれないので、真似すべきではないと結論づけた。
自分はずっと一生懸命書き続けて、いずれ賞の受賞や投稿作品のバズを狙いたい。
(自分のカクヨム(なろうにあらず)へはこちらから入れます(宣伝))
以上!