今回は、ほぼ誰もが望んでいるであろう人生のイージーモード化について答えを出していくよ!
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嫌な環境から、全力で逃げろ
精神的な負荷がかかる場所に(主に人間関係や仕事の内容)長く居ると、精神壊すよ。
自分みたいにね。
逃げるが勝ちは思い切りある。
それを笑いたいやつは笑わせておけ、と思う。
好きなことを探し、全力投球する
自分の場合はブログの発信や創作業(小説執筆とか)になる。
最近はまたゲームをツクり始めた(これも徹夜でゲームツクった後で書いてるよ)。
前にも書いたけど、無我夢中になれるほど頑張れる作業や仕事というのは素晴らしい。
嫌な気持ちなんて吹っ飛んでしまうね。
いろいろな意味で腹をくくる
最後の最後は完全に自己責任なんだ、という意識がないと人生のイージーモード化はきつい。
また、誰かのために頑張ったところで、本音で感謝されることは少ないし、自分勝手な人は多いと思うよ。
そういう人を直接目にし、肌で感じてきた自分からすると社会の要請を受けて行動するなんて心底馬鹿らしい・アホくさいと思うんだな、これが。
勝手に生きる分の最低限のリスクを取ったら、好きなように生きましょう。
結論、考え方次第なんだ 幸せはどこにでもある
薄っぺらい話に聞こえるかもしれないけど、本気で絶望を乗り越えてきたから、この言葉の重みがわかる。
むちゃくちゃ難しいし、自分はここまで悟りめいた思考を得るのに、この情報化社会に生まれたのにも関わらず29年(=29歳、2020年現在)かかった。
自分の幸せは、自分で決めるものであって、他人からあれこれ評価されるものではない。
+α(プラスアルファ)的に実績を積んでいけたらな、とは思う。
個人的には、苦しみも幸せも十分受け取った気がする(特に苦しみw)ので、あとはおまけ要素的に人生を満たしていきたいと思う。
このおまけ要素は社会にとって大変有益だろうなー、とも思っているんだけど。
はっきり言って滅私だし。
恒久(こうきゅう)的な幸せを手に入れた自称善人がなにやるか、まあ大方の予想通りボランティア的行い。
お金稼ぎ自体には興味があるし、より良い生活のためにも稼がねば、とは思っているのでバランス感覚は大事だろうな。
欲しがるなら、まずは与えよう、ならば授けられん
なんか聖書の句みたいになってしまった(「与えよ、さらば与えられん」的な)。
自分が欲しい物がたくさんあるのなら、まずは他者に何らかの奉仕というか有益な行いをしたほうが良い気がしています(感覚的な話で断定できなくてごめんなさい)。
本当に(時間はかかるけど)回り回って何倍にも自分のためになるので、自由に生きつつ、頑張ってみてほしい。
ちなみに今RPGツクールMVで犯罪ゲーム(GTA・グランド・セフト・オート的な)を作っています。
制作の経過情報や完成できたらツイッターで紹介はするけど、このサイトとかでは一切作品の宣伝はしない、というかできない(googleアドセンスのポリシー的に)。
思い出として軽めの記事にするのは、まあセーフかな(温和な表現ばかり使えば問題なさそう)。
悪いことをしたい気分ではサラサラないけど、自由すぎるゲームってなんだろー、と思ったら普通にそんな感じになりました。
あんまりリアルな感じではないし、グロテスクな描写も皆無。
気晴らし、余談でした。
以上!