自己紹介

【大西智陽】本名と半生を晒してみる

実名を出すにはとてつもない勇気が必要だった。

生まれから小・中学生まで

1991年 3月 10日(米津玄師さんと生年月日が一緒!!)、北海道に生まれる。

1歳半は言い過ぎでも、2歳になるころにはひらがなが読めていた。

幼稚園の頃に絵本に飛びつくかして、保育士の女性に「もう読めるの?」と言われてすらすら読んで驚かれた記憶がある。

生まれながらのスキゾイド(孤独を好む傾向の人)気質で、HSP(人一倍繊細な人)であった自分は、その後の環境でひどい目にあった。

簡単に言うと、小・中学校のいじめ。

通っていた小・中学校の名前は伏せとく。今の学校には何の罪もないし、教員たちは悪い人ではなかった(おおむねそうだ)。

多少勉強ができて、小学校3年生くらいからは公文式に通うようになって(公文式もまた、悪いところではなかった。というか過ごしやすい場所だったな。Y先生元気かなー)多少増長した。

まあ、たしかに「私、頭が(は)良いんです」的な雰囲気は出していたけど、それにしても標的にされまくった。

「きもい」、「うざい」などと言われるのは日常茶飯事だったなあ。

教員には何の恨みもないのだけれど。

多分、大人受けが良くて、子ども受けは悪いのだろう、自分。

小学校の嫌な思い出としては、苦手な体育の授業で試合に負けたのを全て自分のせいにされ、流石にリーダーの人が仲裁に入るだろう、と期待したら平然とそのリーダー(女子だった)も悪口に参加して、自分はその場で泣いてしまった、という事がある。

その後、その女子だったかは定かではないが翌日の給食の時間に「あいつ、昨日体育の授業で泣いたんだよ」みたいに話しているのを見た。

悪魔かな? いえ、人間です。

その後かは知らないが、体育の授業を抜け出して1人教室の席で授業が終わるのを待っていたら、校長先生に見つかって、事情を先生と相談してとりあえず(体育の)授業には参加した。

個人的には、この辺りでさっさと休学するとか対処をすべきだったろうが、親は「とにかく通いなさい」の一点張りみたいで、話は全く聞き入れてもらえなかった。

中学校でもいじめは継続し、クラスメートの1人には3年間に渡って出会うたびにまるで挨拶のように「大西、死ね」と言われ、そのたびに真に受けたせいでに酷く精神を病んだ。

彼については、少年Aとでもしておく(Aはイニシャルでは決してありません)。

他には、誰が最初に呼んだかわからないが「ぶっぱ」などというあだ名を付けられて、毎回不愉快になった。

豚と河童で「ぶっぱ」らしかったが当時の自分でも太ってもいなかったし、河童のように泳ぎが得意なわけでもないので、ただ人を侮辱して楽しみたいだけの邪悪な遊びだったのだろう、と個人的には解釈している。

これに関してもあまりに辛く、教師に相談して(地味に小学校だったか、中学校だったか曖昧なんだが、多分中学校。なんで「ぶっぱ」なの? と問いかけた相手は女子中学生だったように思う)教室の黒板の前で教師と共にクラスメートの前で何やら「そうういうことはやめてほしい」と自分から言うように促(うなが)され、そう言って「ぶっぱ」呼ばわりはされなくなった。

収まるだけで、誰からも謝罪はなかった。

また、中学三年あたりに作文コンテストに参加し、文字通り参加賞だけを貰って素直に喜んだのだが、その賞品の『光るペン』を先生が居なくなった直後に強奪(強盗罪)してきた、少年Aとは別のいじめの常習犯がいた。

その後、彼から壊れた状態のペンを突き返され、渡された。

少年Aについては20代前半から半ばくらいまで夢に出てきて、出てくるたびに悪夢だなー、と思っていた。

許せるはずもないが、忘れてやろうかとは思わなくもない。忘れたほうが、身のためだとは思うし(人生経験としては残しておきたい)。

良い思い出としては、わりと仲の良かった(話が合った)女友達から卒業式の後に「もしあんたが金持ちになったら、愛人になってあげるわ!」と宣言されたことだろうか。

なぜ彼女ではなく愛人なのかは謎だが、ええと、謙遜(けんそん)?

とりあえずまあ、自分の事は忘れて、誰か別の人と幸せになっている姿を思い浮かべておきます。

どうなっているのかな、彼女。

自分も好きだったけど、恋愛とかそういうノリじゃなかった(本当になにもしてないよ?)。

他にも帰り道に付き合ってくれる別の女子とかもいたけど、進展はなかった。

なんか同じような(卒業の日に)少年Aと同じような悪口をそっちの女子から聞いたけど、自分が悪いのだろうか?

微妙に鈍感でゴメン。

小学校などでも全員が悪かったわけではなく、まあ仲のいい男女の友人は少ないものの居たと思う。

高校時代

最近は特に高校生の頃の夢ばかり見る。夢破れたのがその辺だったからなのだろう。

高校は立命館慶祥高等学校(初めての私立校だった)。

なにせ、学費がバカ高くて、親には最低でも300万円は出してもらっていたはずだろう(諸経費含めると500万円とか)。

そのくせ、後述する要因で勉強はまるでできなかったのだから、悲しいお金のドブ捨てだ。

自分はそのころ、統合失調症になった。

正確な診断を貰ったのは20歳を過ぎてからなのだが、初期症状は確実に出ていた。

明確に認知機能が低下しており、どれくらい落ちていたかというと、自分では認知機能が落ちている、と全く気づけなかったほどだ。

ちょうど高校入学ぴったりみたいに発症したのもいけなかった(変わり時だから、仕方がないのかもしれなかったが)。

勉強は全くついてこれず、「難易度が上がってついていけなくなっただけ、合わないんだ」と思ってしまった。

普通に勉強したときよりも、一夜漬けのその場しのぎをしたときのほうがテストで良い点を取れたりとかもあった。

また、学業成績が悪いと言うだけで、露骨に教師の態度が変わるのも許しがたかった。

ああ、そんなものなのね。

ぜんぜん精神を陶冶(とうや)していませんわ、と自分なりに思ったりもした。

こちらは真面目にやっているのになんでここまでできないのだろう? 疑問のまま高校を卒業し、二十歳くらいを迎える。

以下は余談↓

立命祭(だったかな? 要するに文化祭)のときに女子と一緒になって、ほかの女子らのひそひそ話で「一緒に食事したらもう、付き合っているよねー」という声が聞こえた後でその女子から食事に誘われた。

仕込みだったんだろうか……。

彼女風味が一瞬できたりもしたが、同じ日に(というか食事後に)その女性は少しして自分とは別行動となった。

別にその後別の日にもその子とは普通に話したような気もするが(記憶が曖昧)、まあ置いておこう。

友人のO君、元気かなー。けっこう凄いお医者さんの息子さんだったけど別の友だちから伝聞で、「大西が居なかったら自殺していたかもしれない」みたいな話を聞いて、大丈夫かよ!? と思った。

今も割と心配しているので、なんかあったらツイッターのDMにでも連絡をください。

あと、認知機能の低下で、いろいろ問題を起こした。

更に白状すると、同じ学校の生徒の名前は10人前後くらいしか覚えていない。教師を入れても20人行くかどうかってところか。

毎年補習の常連で、おそらくしなくとも最低の成績で、高校をお情けで卒業した。

進学校の建前的に留年とかはまずい、とかもあったのだろうか?

補習のテストでカンニングペーパーを用意したのがバレた別の某氏でも、反省文何枚か書かされるだけで済んでいたし。

卒業が近づいてきたとき、2年生のときの担任(のはず。記憶違いでしたらすみません)の優しい英語教師(女性)からは、「毎日、(教員間で)あなたの話をしない日はないくらい!」と誇って良いのかわからない(ダメです)話を聞かされた。

恥ずかしい話はいくらでも出てくるが、とにかく一生分の失敗を詰め合わせたような、そんな高校生活だった。

また、いじめの類(たぐい)は全くと行っていいほどなかった。

若干嫌がらせみたいなのは受けたけど、小中学校からすればかわいいもの(一瞬だったし)。

逆に、成績が悪いということもあり、教師からはあまり良い目で見られなかったなー。

少なくない教師のことを嫌いに思ったのは、珍しく、新鮮な経験だった。

ちなみに大学は、北海道大学を2回連続で受け、当然ながら不合格になっている。

まあ、子ども時代から北大や東大は知りもせずに憧れだったし、受験できただけありがたいということにする。

高校卒業後~精神病院に入院

二十歳くらいまでは何もできず、大体お金もなくぶらぶらしていた。

なにせ、パソコンすら与えられなかったもので、遠い道のりを歩いてネットカフェに通ったりした。

小説なども手書きで、理解のない両親に、当時は本当に腹が立っていた。

そのうち、二十歳になるかならないかくらいで幻聴というか、自分の頭がひたすら興奮して喋り続ける、というのを経験するようになる。

まともな思考はできなくなった。

統合失調症急性期である(一番やばいやつ)。

こう思うとよくされ竜されど罪人は竜と踊るDDシリーズとか理解できていたな……、と不思議に思う。まあ、大好きなものは例外だったのか……。

当時のされ竜は11巻とかその辺で、なんかいろいろとヤバいような。

ド直球のアニメタイトル、『PSYCHO-PASS』もメトセラの遊戯(第10話)まで見ていたのを流石に覚えている(その後に後述の事情で11話以降が一時的に見れなくなったのだもの)。

その後22歳くらい、ずっと幻聴というか自分の脳が暴れる中で耐えきれなくなり、家庭内で小さくはない問題を起こし(物理的にそこまで誰かを傷つけてはいないが、それに類する感じ)、自分から警察に駆け込んで何かがおかしい旨を伝えた。

その後、話を聞いてもらったのは何故か少年科だったが(二十歳過ぎてますよ?)。

その後、精神科へ3ヶ月間の措置入院となった(前科はありません)。

色相が濁った(PSYCHO-PASSネタ)結果がこれだよ!

投薬前から幻聴はピッタリ収まり(爆発して安定化した感じ?)、投薬治療でさらに安定化したように思う。

これを書いている今は徹夜明けなのだが、ぶっちゃけ、眠薬を飲み忘れていたというのもあるだろう。

三ヶ月の最初の数週間(2週間くらい?)はなにもない独房みたいな閉鎖病棟(処置室?)で、後にも先にもいじめとは違う方向性で一番辛かった。

トイレは自分で流せないし(職員が遠隔かなにかでやる)、本当になにもない。

毎日食事が出て食べて出して、寝るだけ。これが3ヶ月も続くのかと思うと、そっちのほうが精神に異常をきたしていた。

まあ、2、3週間くらいで解放病棟になったのだが、爺さんと婆さんばかりの場所で、話し相手もおらず、それはそれでというか、余計に閉塞感を覚えたのだった。

その後すぐ隣のより年代の近い方たちの病棟に移って、やっとアニメの話などができる人と出会えた。

とくにHさんとは話が合い(年はずいぶん離れていたが)、よく話した。

退院後の通院でも何度か会って話したが、多少自分語りがオーバーなところがあり(いわく自分はIQが200以上で、父親は不動産をもっており、このままだと相続税支払えるのかなー、だとか)、もしかするとミュンヒハウゼン症候群に似たものなのかもしれない、と少しは疑いを覚えるようになった。

まあ頭が良い人、というかIQがやたらと高いのだけはなんかわかった。

大人しく計3ヶ月が経過し、通院は今も続いている(明日が通院日になる)。

退院後

(頭が)静かになった。本当に、これに尽きる。

頭をボーっとしてみて、何も聞こえないのが奇跡のようで、今でもそう思っている。

毎日が奇跡。

ただ、退院時点で今とは違うところはまだ認知機能が回復してはいなかった、というところ(今も完全復調かは疑わしい)。

26歳くらいのときに、「こんなに苦しい思いをしたのに、なにもご褒美なしかよ」と悲観的になり、PC(パソコン)の電源コードで2回ほど(以下略)しようとしたことがあり、2回とも失敗している。

後遺症も一切ない。

ちょっと息苦しかっただけで、まあ半分くらいは本気だったような気がするが、まあいい(YMYLに引っかかりそうなのでこれ以上は書かない。YMYLについて知らない人はググっていおいて損はないです)。

未遂でも、本当に命を失うかもしれないので、仮に軽い気持ちだとしても、そういう真似は絶対にしないでください(自分の場合は本当に辛かったのでそんな真似をした)。

繰り返しますが、形だけだったとしても、真似はしないでください。

転機

なんとなく高校生の頃に買ったC言語の本を、「なんかわかりそうだぞ?」という直感に従いやってみることにした。

最初はPC上のメモ帳(PCは退院後すぐに親が与えてくれた)に紙の本の言語を書き写すだけで、そもそもどうやったら計算や文字が別枠で表示されるのかが分からなかったが、とりあえず書いた。

動いたかどうかはいまいち記憶にないのだが、とりあえずプログラミングは今でも頭の片隅に取ってある(テックキャンプとか凄く興味あるな……)。

その後、高校数学などもやり直したりする。

その後家族(特に姉)の勧めで、障害者雇用の支援施設に行き、すぐに良さげな場所を探してもらった。

関係者各位には、大変感謝しております。みんな優しかったです(社会人として見るべきところは見て、そこは厳しかったけどまあ当たり前)。

B型事業所の1つ(障害者雇用の、カフェに近いレストラン)に通所するようになった。これはとりあえず良い経験だった。

時給は250円だったけど、通所に計80分かかるし(往復)、けっこう食器洗いなんかが大変で割に合わないなー、とは思って、ブログにも集中したいしで辞めた(携帯電話合算払いで1ヶ月3万円までお金が使えるようになったというのも大きかった。正直な話)。

ちなみに通所に使う地下鉄で一緒になる、近場のFラン大学生と思しき学生(フケとか酷かった。仕草も)が、見るたびに大量のアプリ(全てゲームか?)が見えるにスマホを2台とか使ってゲームをしていた。

アホかと。

2019年3月16日に『書い人(かいと)のブログ』を開設した。親の意見は聞かず、勝手にやった。

B型事業所に通い出したのとほぼ同時期かな?

現在は放置中のブログだけど、ゲーム紹介、攻略記事なんかは良いものが書けていた(逆に言うと、それくらいしか成果が出せなかった)。

ブログ・サイトでは1年半ほど続けて、累計1万円ほどの収益(先月は下がりに下がって311円でした、へこむなあ)。

それとは別にWEB案件で5000円支払ってくれた人が居たが、あのような神案件はまずないであろう。

ちなみに、B型事業所を退所するときに利用者さん(いわゆるメンバーさん。自分も、元メンバーというわけだ)の女の子と地下鉄が一緒になり、談笑して最後は良い気分で帰宅できたのは良き思い出。

家族など

家族構成は両親と、どちらも2歳離れた姉と妹。全員が実家で暮らしていて、やや手狭。

誰か出ていけよ、特に長男とか。

自分の両親は共働きで、姓名判断やその他鑑定、手彫りの印鑑などを扱う会社を父が経営している。

父はとりあえず働き者で、一時期は休日などもないくらいに働いていた。

今はさすがに年齢なので(今日は母と2人、実家のお墓参りに行っている)、日曜日はなるべく休むようになってきた。

父の特徴としては、恐ろしく空気が読めない。多分というか間違いなくアスペルガーだろうと分析をとっくに済ましている。

語彙力もかなりないほうで(あんまり言うと悪口になっちゃうので、遠慮はしておこう)、「オンラインってなんだ?」と数ヶ月くらい前に聞いたときはなんだか悲しい気持ちになった。

本当に仕事はできる(というか、してくれている)のだが、興味のないことは本当に興味がない。自分もそうだが、輪にかけて極端な気がしている。

姉妹については割愛だが、一応書くと、姉との関係は良好。妹は末っ子気質なのか、かなりわがままな感じがしているが、お互いに不干渉が良いのか、たまには贈り物でもして手なづけておくか、くらいには感じる。

まあ、普通に「きょうだい(というか家族)」している。

母はひどく貞淑というか、まともすぎるくらいの女性で、少しでも性的な話題になると変な反応を見せる(自分からは、一切指摘しないが)。

ただ、世間一般の価値観に物事全てを当てはめすぎていた気がしている(最近はそうでもない?)。

まあ、まともすぎるんだよね。美徳でもあるんだけど。

学校時代、さっさと休学などをさせずにこちらが精神壊したのは事実だし。

あとがき

書い人(かいと)というH.N.(ハンドルネーム)も気に入っているので、別に実名をそこまで積極的に使わなくてもいいかな、くらいに思っている。

自分を知っている方への生存報告、感謝、お詫びを兼ねて、自己紹介記事とさせていただきました。

こうしてちゃんと生きてるから、心配いらないよ♪(米津玄師さん風)。

いま現在(←重言らしい)は、けっこうお金を使って(月3万円までだけど)専門書や学習用書籍などを買い集め、やっと毎月の予算に余裕ができてきた感じになる。

はじめに数十万くらいあれば、それですぐに買い揃えたんだけどなあ。

未だに貯金を親が管理して、自分が手を付けさせないのは法的に問題がある気がするんだが、あなた(特に母親)を目にしたら、何も言えなくなってしまう事はわかっている ♪(今度はナナヲアカリさん風)。

なんとかしたいです。

今のところ幸福度は増してきている、というか不幸を軒並み避けて歩けるようになった気がする。

あとは、自力で収益を稼いでいきたいってところだけかな。

頑張るしかない。

いや今までも相当頑張ってきた気がするんだけど、収益とは関係ない徒労がほとんどなので、なんだろ逆襲下剋上?)したい。

とりあえず各種発信をして、勉強も楽しいから続けるか。

区切りのいい言葉が見つからないのだが、これを読んでいるあなたの幸福を祈っています。

それがたとえ少年Aでも、とでもしておこう。

発信まとめ

今活動している主なサイトなどをまとめました。

他にもあるけど、別にいいよね。

・小説を書いているカクヨム(以下、リンクは全て外部リンクになります)です。

・創作ラーメン・料理サイトの『ラーメンラーメンラーメン』。

・一番の稼ぎ頭(多分)、デジタル・オンラインカードゲームの攻略ファンサイト、『MTGアリーナ最前線』。

・目指せ収益化!(チャンネル登録者1000人以上。過去1年間の総再生時間4000時間以上で収益化できます)YouTubeである、『カイットGAMES』チャンネルです。

一番人気の動画(笑)を載せておきます。

ムショクとか言うなよ。

人生これからだ。