投稿日時点から見て昨日、自分と同世代の有名な俳優・歌手である三浦春馬さんが自死したというニュースを見て、それなり以上に衝撃を受けています。
芸能界にはほぼ興味のない書い人ですが、同世代の人が亡くなった(将来もかなり有望だったろうに←それは関係ない、命は平等だ、とう人の意見もありそうですが)ということで思うところはあります。
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前提 万人に自死を踏みとどまれと言うのは傲慢か?
世の中には大変辛い思いをして生きている人もいるだろうし(管理人・書い人も統合失調症で苦しかった。過去1万回以上死にたいとは思っています)安直に「死ぬな!」とは言い辛い。
よほど極端な例外(もう死ぬ以外ないのに強い苦しみに晒されている人など)を除き、それでも自分は人に生きてほしいと思う。
また、自死された方についてこれ以上とやかく言う気はない。
もう亡くなられているし、それ以上の追求は無用(無意味・無意義)。
人にはなるべく死んでほしくない
よほど邪悪な人間とか、さっき挙げたような尊厳死を待つしかない人は例外ですが、自分は人には死んでほしくない側の人間です。
なぜかというと、苦しみも含めて、その人にしか味わえない人生だと思うのだよね。
「だから苦しめ」とは思わないけれど、個人的にはせっかく存在する幸せも苦しみも含めた『人生でしか味わえないなにか』をしっかり味がしなくなるまで味わってほしいと思っている。
希死念慮と闘い続けた経験談
自分の人生の大部分は、希死念慮(きしねんりょ、自死を思う気持ち)との闘いだったような気がしている。
小中学校ではひどいいじめにあったし、高校以降は統合失調症で全く勉強ができなくなり、高校卒業後は引きこもり・ニートとでもいうべき生活をしていた。
思い出そうとするだけで心が暗くなり、痛む。
調子が良くなってきたのはほんの2年前からくらいで、今から1年前にブログをやりだした。
最近は精神が本当に落ち着いて、こうして他人に関心を強く向けられるようにもなった。
はっきりいって幸せな毎日を過ごさせて貰っている(まだまだいろいろあるけどね)。
案外と自分も、自死と非常に近い領域で生きていたように思う(鈍感?)。
次項では得られた経験から思うことを書いていく↓
苦しみはあるが、過剰反応は良くない
喉元すぎればなんとやらというのはあるし、自分も10年以上許せていなかったいじめをしてきた連中のことを、最近はどうでもいいと思えるようになってきた(忘れかかっている)。
個人的には苦しみについてはポジティブなアクション(行動)で対処するべきだと思う。
はっきりいって、そこまで悩んだり考えたりするのは無駄。
大半の人は実際そこまで悩まないのだけれど、特に頭が回ったり、考えすぎたり、あるいは神経質な人は要注意。
繰り返すけど、踏みとどまって考えるよりも、前向きな行動を起こすべきだと思う。
自分の場合は、いじめを受けているのならば大人にちゃんとしっかりと報告する、統合失調症なら医療機関の診察を受ける、とかかな。
現実的な解決手段はすぐ目の前に転がっているのに、殻にこもるのを選んでしまうのはひどくもどかしい、もったいない。
まとめ 人に生きていてほしいと思う
反論はあるだろうけどね。
いま苦しみの真っ只中にいる人とか、特にそうだと思う。
とりあえずまあ、冷静になってほしい。
現実的な解決手段はないか?
考えすぎているだけではないか?
時間が解決するものではないか?
思考様式・形式・方法を変えてみるのは?
とりあえず別のなにかに没頭してみるのは?
いのちの電話や、こころの健康相談統一ダイヤル(厚生労働省の自死対策センター)に連絡してみるのは?
医療機関を受診するのは?(←かなり重要です)
とりあえずいろいろある。
「自分(だけ)は大丈夫!」と思わないのは重要。
あなたは大丈夫でも特別な存在でもありません。
いつでも人は、簡単に追い込まれます。
無神経な人がいるのは事実だけど、メンタルに問題がある自覚がほんの少しでもあるのなら、本当に大丈夫なのかを考えてみてほしい。
(言葉足らずなところがあればリライトするか別記事で書きます。)
以上!