今回は『趣味の幅が広い人の生き方、在り方』という話をしたいと思うよ。
管理人、書い人(かいと)は趣味や仕事にしたいと考えているものが多く、ざっと列挙すると↓
・小説(ライトノベル)執筆(+当然ながら読書)
・ブログ執筆
・ゲーム実況動画配信(最近始めました)
・本格的なラーメンなどの料理
・DTM(デスクトップミュージック、PCによる音楽制作)
・勉強(まだ高校レベルをじっくりと)
・ゲーム開発、プログラミング(最近放置気味。1人でできる気が全くしない)
スポーツは苦手なほうかな(軽く体操や外を走る程度)。
収益化はまだまだ全然ダメで、ぶっちゃけ月1000円行けば良いところ(無論、これから上げていきたい)。
若いうちから活躍している人は、一点突破型説
1点、多くても2~3点くらいな気がする。
これはもちろん、まともに収益化できる仕事・能力の種類や数のことになる。
上の列挙まとめに当てはめると
・小説(ライトノベル)執筆(+当然ながら読書)→小説しか書かない。読書やググる、ドラマや映画、アニメを見るなどで知識・ノウハウの蓄積も行う。
・ブログ執筆→ブログしか書かない→(ある程度経験などの蓄積は必要?)
・ゲーム実況動画配信→ひたすらゲームプレイと動画編集しかしない
・本格的なラーメンなどの料理→飲食店での下積みや経営を勉強し、真面目に働く
・DTM(デスクトップミュージック、PCによる音楽制作)→音楽制作に没頭する
・勉強(まだ高校レベルをじっくりと)→一日中勉強する
・ゲーム開発、プログラミング→一日中やり、あるいは起業をする
これを考えると、いかに自分が半端者なのかがわかる。
実際(若いうちから)成果を出す人はちょっと極端なくらい、それしかしていないものなのかもしれない。
ていうか自分、器用貧乏にもなれていない不器用貧乏じゃないのか、とか思ったりもする。
最近は趣味・仕事の幅を狭めて努力を一部に集中させるべきかとも考えているけれど、それは集中したいこと以外を努力しない言い訳に使っているみたいで、やはり気分の良いものではない。
好きなものは多いけど、寝食を忘れて没頭するほど好きでもなく、だらだらではないにせよちょっと以上にずるずる引きずっている感じはある(微妙なニュアンスで伝わらなかったらゴメン)。
器用貧乏はいきなり大金は稼げないと思う
結局、年輪を重ねた巨木みたいにじわじわ自分自身が大きくなるのを待つしかないと思うんだ。
努力は続けるけど、ほどほどに。
1度精神病(統合失調症)やらかしているので、スタートダッシュで遅れ、まだ認知機能が完全には回復しきっていないのかもしれない(完全復調するかどうかも怪しい)。
自分の好きなことを融和(ゆうわ)させ、何らかの形でまとまって世の中に出せればとか考えている(小説で勉強やブログ運営について書いたり、動画配信で料理を作るチャンネルを作ったりとか)。
30代、40代でちゃんと生きていける以上のお金は稼ぎたいと思う。
とにかく在り方を工夫しよう
特に、あまりに結果が出ない人の場合の話。
器用貧乏、あるいはオールラウンダーというのは視野が広くてなんでも好きになりやすい、活発・活動的な人なのだろう。
でもまあ、極端にIQが高いとか本当に凄い人(天才)ではない大半の人は、一点突破型でその分野だけ努力している人には基本的に負けるだろう。
そういう人とは、真正面からぶつかるのではなく、なんらかの工夫をするのが大事になる。
これはなんでもやってきた人にしかわからない趣味の範囲の広さを利用するのが普通だけど、いろいろさらに調整・挑戦を重ねて真の専門家とは全然別のアプローチをしてみるとかが良いと個人的に思っている。
広く浅く。浅いのは時間が解決して多少深くなるだろうから、努力の方向性を間違えずにステ振り(能力値の割り振り)と活用法を探求してほしい。
昨今はかなり専門的な情報でもネットや本で入手しやすくなっているので、器用貧乏な人は多くなりやすい気もしている。
すぐに結果が出ないのはもどかしく、能力的にも金銭的にも貧乏だが、心は豊かだとは胸を張って言える。
まとめ 私はそういう人間なのだ
器用貧乏な性分は事実だし(1日中それだけに没頭、とかは基本的にできない)、でも自分の中ではそれが当たり前なので器用貧乏で括(くく)られるのは違和感がある。
一点突破型の人の視野が狭すぎるだけでは? とか。あるいは相手が本当に天才なだけなのか……。
すでに同年代で成功を収めている人には羨望(せんぼう)の眼差(まなざ)しを向けるものの、自分はこれから成果を上げていけばいいやとは思う。
マイペースに頑張ります。
以上!